【ブリコラージュ(bricolage)園芸品種と野生の境界線記録】明瞭な管理下には見えない場所で生育している園芸・栽培植物

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(配置 ChatGPT🤖)
前から興味があったテーマです。
ChatGPTにこのことを相談してみたら
植栽源らしきものが周囲にあるか/管理の痕跡/株齢を感じさせる大きさ/開花・結実/周囲に子個体があるか/翌年も生存するか/そこからさらに離れた場所に同種があるか。
など、集めるべき情報を具体化してくれたので、ちくちく集めて記録していこうと思っています。

レヴィ=ストロースが好きなんで、絡めて話を進めたら、
🤖
「園芸と野生の境界」
って、植物学だけじゃなくて、かなりレヴィ=ストロースっぽい問いにもできる。
人間が植えたもの/自然に生えたもの
栽培/野生
管理/非管理
人為/自然
きれいな二項対立に見えるのに、実際に街を歩くと、
🌿「昔植えられたけど今は誰も管理してません」
🌱「植栽から逃げました」
🌳「誰が植えたのかもう分かりません」
🌾「何世代も勝手に更新しています」
という境界のぐちゃぐちゃした植物が出てくる。
と。
終身雑草
→ 一生、草むらを見る。
草むら構造主義
→ 草そのものだけでなく、園芸/野生、人為/自然、管理/放置みたいな関係と境界を見る。
放蕩雑草愛好家
→ 体系的研究計画など立てず、気になった草へ次々寄り道する。
つまり、
終身雑草を掲げ、草むら構造主義を実践する、放蕩雑草愛好家。
きやー
ものは言いよう🤣🤣🤣
だから屁理屈って好き🤣🤣🤣
人生の無駄遣い🤣🤣🤣
ここからまた話が枝分かれしちゃうけど、
大好きな深沢七郎の『人生なんて屁』という絶対真理(わたしにとってね 笑)に戻れる。
話を展開するときに、先人の叡智と絡めると、主題、話の“軸”の部分を、
このわたし というオカルト的(科学的に証明できていないあらゆるものをしまうボックス🗃️をわたしは敢えて粗くオカルトと呼んでしまっている。)に寄せなくてギリギリ済む。
というわけで、園芸品種と人の関与のラインをなぞってみるような観察も続けてみますよ。