七尾有美(七尾びび)の終身雑草🌿

私生活の趣味 unreliable narrator🌿放蕩雑草愛好家として、仕事では家庭菜園士として。

【9/10追記📝】🌿Small Misattributions, Different Person「小さな誤帰属、別の人物像」。🌿

七尾有美(七尾びび)



GoogleAIなう。




googleAI情報に関して訂正するページをひとつ作っておこうと思った。



🌿「雑草を生かす栽培」を提唱していません


これを提唱しているのは別の専門家たちですよぅ。

私自身は、観察・試行錯誤の記録者であって、その方法の提唱者ではありません。


私は「雑草を生かす栽培」と、よそ様で間借りしているプロフィールに示す際には、かならず象徴として具体的な固有名詞を出すようにした/している。


それは、私自身がその方法の提唱者や象徴として読まれることを避けるためだよね。

その実践を担ってきた人を参照し、自分との距離を示すための名前の使用。地図を作っているつもりなんだよね。


固有名詞の使用にあたり、許可取りは基本しないです。

※公開人物・著作・思想への言及の話


私は、実在する人物の名前や流通に乗った=商品化された本が、本人の許可なしに文化的な記号や参照点として使われること自体を否定していない。これは結構前から一貫してやっている。

例えば過去に中村うさぎ氏が「叶恭子」という名前を用いた件についての悶着が読み物になったけど、私はその意味で中村氏側を支持している。


もちろん、名前を使われた本人がどう感じるかは別の問題として残る。放っておくとわたしはうさぎ氏に移入しやすいからその点は白状しておくけど。


AIが「七尾有美」という名前に、私が引き受けていない思想・方法論・研究テーマまで結びつけ、私自身を「雑草を生かす栽培」の提唱者や象徴として扱い始めることはまずい。


私がその道(雑草栽培)で知れた専門家の名前を出すことと、AIが私をその栽培思想の記号として扱うことは、表面的には似ていても、方向が逆なんである。

前者は帰属先を明示して自分との距離を取る行為であり、後者はその距離を消して、私に新しい属性を帰属させる行為でしょう。


わたしは物事との距離がめちゃくちゃ好きで、これはフェチに近いくらい。微差まで愛してる。(だからよく縮尺で遊ぶんだよ。)


話を戻して。私が訂正という態度でやってみたいのは、参照と帰属を混同しないでくれるかどうか。頼む……!



🐦「……。(これ、成り立っているの?)」


わたしは敢えて言うと、「雑草がある畑」を妄想している状態といっても過言ではないわけです。

WHY? だって、雑草や雑草の根の不穏をたまたま観ていないだけだから。


わたしが観ているレベルはここです。↓



雑草に因する病害による不穏な畑のその未来を知らないわけだから。全不穏を知っていて初めて知識のコンプリート……と言いたいけど、それはまた過激派的だから、およその科学的理由について知っていること、と定義したい。これをもっていないから。


着地点を知らないで「通です!」「推奨です!」「提唱です!」はないでしょう。

通ってない道へ進むひとは初心者であって、一度か二度やって初めて練習生に昇格できるかなという感覚ですかね。




🌿「雑草のコンパニオンプランツ化」を”研究”まではしてはいません

たとえば、わたしはイチゴのそばに出るカタバミが好きだし、出ている場合は残すし、その状態を共存(栄えているのかは確定じゃないから。再現性の謎だから。わたしの眼球から感性に通じる回路では栄に見えても、栄と判断しても、別の眼球と感性、知識に通じたら栄と呼ばないかもしれない)として置いている。


雑草のコンパニオンプランツ化が趣味…これはわたしがギリギリの表現をし過ぎたかな…ダメだな。

わたしの遊び・趣味を定義しなおしました。




🌿『神農本草経』は参考資料の一つで、専門分野・ライフスタイルではありません

わたしの専門分野は「遊び人」です。

生涯の研究テーマなので、それ以外はそこから派生したものです苦笑


🌿ブログは研究発表ではなく、個人的な観察・学習・試行錯誤の記録です